定期更新 大泉
私は太宰治が嫌いです。
太宰の原点は、人間の弱さとその肯定にあると言えます。代表作の「斜陽」を例にとって考えてみましょう。
「斜陽」は、没落貴族の家を舞台に、やがて朽ちてゆく人々の”美しさ”を描いた小説です。中でも、自らの身体に流れる貴族の血に抗いながらも麻薬に溺れ、破滅していく直治や、かず子に対して、『君たち貴族は、そんな僕たちの感傷を絶対に理解できないばかりか、軽蔑している。』などと暴言を吐きつつ『しくじった。惚れちゃった。』とか宣うカス男の上原は印象的です。
この小説で扱われているテーマは、「自己曝露」、「弱者への共感」です。ぶっちゃけ大ベストセラーだし、内容は面白いので、自分で読んでほしいという願いを込めて詳しい内容について触れることは避けますが、私は太宰のこういうところが嫌いです。
彼は人間の弱さに対して非常に鋭い感性を持ち、そこを直視するような文学スタイルですが、そこから立ち直ることは決してありません。ただ弱さに絡めとられ、溺れる中に”美”を見出しています。これが気に食わん。
持論ですが、文学とは真実の具体化です。人間が理性を持ちながらも、命と体が一つしかないことに対抗する数少ない武器と言えるでしょう。つまり、文学は、理性を持つに至ってしまった人間への、ある種の救済です。文学とは救いであるべきなのです。しかし太宰、お前は何だ。お前の文学には救いがない。人間失格がなんだ、偽りの”美”なんてものに陶酔して死ぬなんてただの自慰だ。
こういうことを主張していると、三島由紀夫のファンだと勘違いされますが、私は三島も嫌いです。かっこつけて割腹自殺なんてしてるところは特に。作品を読めばわかりますが、三島は極度のメンヘラ野郎です。真っ黒の背景に小さすぎる字のストーリーとかあげるタイプの人間です。上半身しか鍛えずにスクワットしないからそうなるんだよタコ。
レポートと課題に追われていると思考の隅の搾りかす、水垢、焦げみたいな不味い文章が書けますね。次の出番ではもっときれいな、意味のある文章を書けるよう努力します。では。
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